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トイレットペーパー狂騒曲・スターリンは新聞使ってた?!

コロナウイルスでトイレットペーパーなくなる?!

2020年3月、日本はコロナウイルスで大騒ぎ状態です。そんな中、「トイレットペーパーがなくなる」騒ぎが起こっています。

トイレットペーパー1ロールの消費時間を図ったことがないので、今の在庫分がどれだけもつのかをわかりませんが、個人的な肌感覚として「トイレットペーパーは意外と長くもつ! 絶対的に!」という信念があり、あまり気にしていませんでした。

しかし、街に出て人と会って話をすると、話題はトイレットペーパー一色。子供はトイレネタが大好きなものですが、大人もその経験を経ているせいか、やっぱり好きなんですね〜。

というわけで、私もトイレットペーパーの話題に乗っかります。

トイレットペーパーがない経験

1973年のオイルショックは記憶にない私にとって、街中からトイレットペーパーが消えるという初体験をしたのは、1993年のロシアでした。

1993年と言えば、その2年前にソ連邦が崩壊し、国が新生ロシアとして歩みを始めたばかり、まだヨチヨチ歩きの資本主義もどきの国でした。

この訪露は私にとって初めてのもので、まだ若かった私の目には「自由と生命の塊のような国」に見えました。1993年の状況をこんな風に評すると、大多数のロシア人は口をそろえて「とんでもない!」というかもしれません。

それまでのソ連の生活が豊かで素晴らしいものであったかどうかは別としても、市民には社会福祉が平等に行き届き、ひとまず明日何が起こるかがわかるという毎日をロシア人は送っていました。

それが一夜明けると、いきなり自由が解禁となりました。どこへ行くのも自由、職業を選ぶのも自由、お金を稼ぐのも自由。これをチャンスと思った人の中には「うまいことやって」大金持ちに変貌した人もいるそうです。しかし、そもそも人を出し抜くのが嫌いなロシア人。多くの一般市民は、急にお金に執着することもできず、国内産業の断絶により市場からモノが消え、明日に何が起こるかわからないストレスに苛まれていた時期とも言えます。

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ロシア人が人を出し抜くのは嫌い? と思われた方は一読を!

ロシア人の対人感覚(職場にて)

いつも心にポケットティッシュ

1993年の夏、私は1か月の語学研修でモスクワを訪れました。半日は学校生活、午後はエクスカーション(遠足・小旅行)。授業はロシア語オンリー、クラスにも学生寮にもいろんな国から来た学生がいて、英語とロシア語交じりの交流。街で触れ合うロシア人も気さくで親切だし、観光名所を巡るエクスカーションも、モスクワ市内だけでなく、郊外までバスで出かけるものがいくつもあり、毎日が充実の連続!

何の不足もない、楽しい海外研修…… しかし、全く不満がなかったかというと、もちろん嘘になります。何事にも二面性はある。当時の生活で苦労したのは、トイレでした。

学生寮のトイレは問題ありませんでした。簡素な作りでしたが、清潔そうで、普通に使えます。が、一歩外に出ると、急な排泄欲求は危険です。というのも、まず公衆トイレを探すのが大変、見つけても有料で小銭がなければいけない、トイレの料金と引き換えにもらうトイレットペーパーは、ちっちゃなハンドタオルサイズのもの一枚。もちろん、個室にはトイレットペーパーはぶら下がってません。

いや、有料でも交換してくれるならまだマシで、学校や無料のトイレは、トイレットペーパーがありません。ついでに便座もありません。なぜ便座がないのか、ロシア人に聞いてみても、それは国家機密だと言わんばかりの不思議な笑顔を浮かべるだけ。

(ソ連の「伝統的な」トイレ事情を面白おかしく描いたエッセーに『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(椎名誠著、新潮文庫)があります。電車で読んじゃいけない抱腹絶倒もので、オススメです!)

さらに謎なのは、公共トイレで、場所によっては20cm四方に切りそろえられた新聞紙が積まれていることがあったこと。そして、個室にしては大きなバスケットのゴミ箱。中には、少ないですが丸められた新聞紙が捨ててあります。

ま、まさか、新聞で……?

このトイレ事情が分かってからは、日本から持ってきたポケットティッシュは外出時必携となりました。

しかし、ポケットティッシュをダンボールごと持ってきたわけではありません。そもそもトイレットペーパー用に必携となるとも思っていなかったのです。直に在庫が心許なくなりました。

「それは大きな問題なのよ」

そんなわけで、私は友人たちとトイレットペーパーを買うべく街へ買い物に出かけました。

まず、一番手っ取り早く買い物ができる路上のキオスクを探しました。ロシアのキオスクはコンテナ型のボックスに大きなガラス窓がついたような形をしていて、ガラス窓越しに様々な商品が所狭しと貼り付けられています。しかし、なかなかトレペの姿を見つけることができません。

キオスク(イメージ画像です)

次に、店舗を回ることにしました。1993年当時、まだ古い買い物システムが残っていました。「古い買い物システム」とはこんな感じ。

  1. ショーケースに、自分の欲しい商品があるかどうかを探す。★
  2. 商品があれば、値段を確認する。
  3. 店内のレジスペースに行き、買いたい商品と値段をレジで告げて、その代金を支払う。レシートをもらう。★
  4. 再度、ショーケースのところに戻り、買いたい商品を告げ、ショーケースの「お姉さん」にそれを取り出してもらう。★

手順の中で★マークが付いている箇所では普通、行列に並ばなければなりません。そして、手順ごとにロシア人スタッフと言葉を交わさないといけないので、ロシア語を練習するにはもってこいですが…… 恐ろしくまどろっこしいプロセスです。(てか、人員配置を間違えてる! ショーケースの「お姉さん」はレジをやりなさいよ)

話が少し逸れてしまいましたが、トイレットペーパーを求めて、いざロシア語トレーニング! という意気込みとは裏腹に、奴はどこにもいません。店でもキオスクでも所在を尋ねてみるのですが、いつも返事はつれない「Нет(ニェット)」。

ロシア人って、知ってる時はうるさいくらい親切に情報を提供してくれるのに、自分が知らないとき、できないときは、とことん淡白。分かりやすいっちゃ分かりやすいですが。

結局、私たちが日本で習っていたロシア人教師が「万が一の時には頼りにしなさい」と紹介してくれていた先生の娘さん(ターニャ)に助けを求めました。

-Мы хотим туалетную бумагу.
「私たち、トイレットペーパーが欲しいです」

拙いロシア語を話す私たちに、彼女は困ったように笑ってこう言いました。

– Это большая проблема.
「それは大きな問題なのよ」

どこで買える? どうやって? という質問の答えはもらえないまま、その日は別かれました。説明したところで、理解不能だろうと思われたのか? 私たちのロシア語力の限界? と、なんとなく情けない気持ちでした。

しかし、次にターニャと会った時、彼女は「これ……」とこっそり手渡してくれました。街中でのことなので、こっそりとだったわけですが、私たちはもちろん大騒ぎです。

記念すべき1969年

ロシアのトイレットペーパー事情を懐かしく思い出した私は、何か面白いネタがないか探してみると、次のような記事を見つけました。

この年(注:1969年)、米国および世界中が、アメリカ宇宙飛行士の月面着陸という半世紀に一度のイベントを祝っていた。月レースでは遅れをとったソ連もじっとはしていない。例えば、1969年はソ連で伝説のMi-24戦闘ヘリコプターが現れた年である。これは半世紀を経た今でも現役だ。

しかし、この年、 何世代にもわたる問題を解決する、ソ連産業が成し遂げたもう1つの成果がある。今となっては、核大国の市民はトイレにある新聞の切れ端のことなど忘れてしまっているであろうが……。(拙訳)

「『スターリンは新聞を使っていた』:ソ連トイレットペーパー開発物語」ガゼータ・ル2019年11月6日配信記事

トイレにある新聞の切れ端!! や、やっぱりあれは……!! 

この記事によると、1969年はロシアで初めてトイレットペーパー製造が開始となった年だそうです。トイレットペーパーが製品として初めて特許申請されたのが1857年、イギリスとアメリカにおいてということなので、ロシアは約1世紀遅れての出発となります。

20世紀初頭の詩人マヤコフスキーは、ロシア(ソ連)国内での製造に先駆けてこの紙に出くわす機会を得た1人で、フランス女性を描く詩の中で「пудрой подпудрит, духами попрыщет, подаст пипифакс и лужу подотрет(白粉振って 香水つけて ピピファクスを差しだし 溢れ出た水を拭き取る」(ピピファクス=当時のトイレットペーパーの名称)と詠み込んでいます。

彼(注:マヤコフスキー)のような機会に恵まれない同世代人たちは、新聞でことを済ませていた。印刷インクに危険物質が含まれているため、衛生的ではなかったが。何十年もの間、ソ連市民は「プラウダ紙」と「イズヴェスチャ紙」で拭いていた。その際、国のリーダーの肖像は用心のために切り取って使っていた。さもないと、後で泣きを見るかもしれないからだ。(拙訳)

同上

リーダーの顔が載った紙面で拭いたら泣きを見る…… (怖)

しかし、やはり新聞を使っていたのですね。若かりし頃の「まさか……」というモヤモヤ感が、この度「やっぱり」と霧が晴れた気分です。しかし、いつの時代、どこの国でも上層部は事情が違います。

ソ連の権力者にはこのような問題は、おそらくなかったであろう。彼らのトイレには、しばしばビデが付いていた。‥‥(中略)……さらに、一定数のトイレットペーパーが外国から輸入されていた。トイレットペーパーは、アカデミー会員やボヘミアンの家、外国人向けのホテルで見ることができた。

「失礼ながら、レーニン、スターリン、フルシチョフでさえ、新聞を使っていたんですよ。新聞を切り取って。おかげですべてのニュースに通じていたわ」と、本紙との会話の中で、シャシコフ製紙工場博物館長タチヤナ・ペトロワは笑う。(拙訳)

同上

でた、アネクドート! トイレは情報収集の場というわけですね。

そして、ソ連といえば「行列」が有名でしたが、トイレットペーパーの行列も日常茶飯事のようでした。

「普通、行列に3時間並んで、数に限りのある約束のロールを手に入れたものです。『1人いくつまで』と決められた数だけ手にします。当時よく見かけた光景ですけど、街中でネックレスのように紐でつないだトイレットペーパーを首から下げている人が歩いてるんです。それを見たら、急いでその人がやってきた方向の売り場に向かわなければいけません」と、ある年金生活者は思い出す。(拙訳)

同上

やはり一度に購入できる数は限られていたようですね。同じ記事の、別の人の思い出話では「1人10ロールまで」ということでした。日本ではトイレットペーパーを首から下げる人はいないと思いますが、これは、当時ソ連では、買い物の際に「レジ袋」なるものがなかったからでしょう。さらに、数ロールで1パッケージという梱包もなかったと思われます。10ロール買ったはいいけれど、入れる袋はもらえないし、ロール状で持ち運びにも不便なので紐で繋いだ、ということでしょうね。なんともロシア人らしい。

21世紀はトレットペーパー不要の時代?

この度のコロナ騒ぎで懐かしい記憶が蘇り、確かに「トイレットペーパーがない!」という状況は切実なものであると改めて思い出したわけですが、引用した記事は次のようにまとめています。

最新世代の便器には、設計・製造段階で特別なノズルがつけられ、ここから出る細い流水がビデのような機能を果たし、人間の体の一部を洗い流し、きれいにしてくれる。21世紀に入り、トイレットペーパーを使うのは地球上の人口のおよそ30%ほどである。(拙訳)

同上

これは温水洗浄便座(ウォシュレットはTOTOの商標)のことですね。実は私、この温水洗浄便座を使うのが怖くて、いまだに一度も使ったことがありません……。しかし、そうか……これを使えば、トイレットペーパー不足も怖くない……?

いや、しかし、この度の騒ぎ。世間ではこの温水洗浄便座が広く普及していて、みんな使っていると思っていたけど、案外私のように怖がって使っていないのか? それとも、水洗した後をペーパーで拭き取っているのか? 新聞紙の謎が解けたけれど、新たな謎が生まれました……。

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