一般書・文芸書

激動ロシアの90年代を生きた女一代奮闘記

『ロシアの躁と鬱―ビジネス体験から覗いたロシア―』、中尾ちゑこ著、成文社、2018年

女一代奮闘記

本書をざっくりまとめると「大学でロシア語を学んだ著者が、卒業後就職したものの勤め先の会社が倒産。その後転職・再就職を経て独立起業を果たすが、48歳の時に転機を迎えロシアビジネスに乗り出すことに。そこからすったもんだが……」といったところだろうか。

ビジネスを成功させた社長の自伝的エッセーとなると、経営に興味のある人、経営を志す人が読むものかと思っていたのですが、本書は、生のロシア人との触れ合いを感じることができるという意味で、純粋にエッセーとして面白い!

具体的に面白いと思う点をいくつかご紹介。

「動乱の90年代」にロシアビジネス開始!

ソ連が崩壊したのは1991年。

日本では人気のゴルバチョフさん(当時ソ連大統領)が赤ら顔のエリツィンさん(当時ロシア共和国大統領)に追い落とされて、ソ連が崩壊したわけですが、その後のロシア社会はカオスの10年が続きました。(この10年をロシア人は「リヒーエ90年代」と呼んでいます。リヒーエ(лихие)とは「残忍な、邪悪な/威勢の良い、大胆な」という意味です)

本サイト主のリヒーエ90年時代の滞在記もどうぞ!

インフレ率1000%(!)というハイパーインフレ(1992年当時)と物不足、そして突如現れた「自由」。(インフレ率参考:佐藤芳行、「ロシアにおけるインフレーション–「改革」後の価格調整は何をもたらしたか?」、2011年、新潟大学経済論集 (90), 115-150, 2011-03より

私が初めてロシアを訪れたのもこの「リヒーエ90年代」なのですが、確かにモノは少なかった記憶があります。「バターが消える!」という噂が立つころには、すでにバターは買えません。トイレットペーパーを買い求めようとして見つからず、ロシア人に相談すると「トイレットペーパーは難しいわね」という返事。(結局、新聞で代用しましたよ!)

そして何より「自由」。というより「無法地帯」と呼ぶ方が正解な雰囲気。

この真っ只中に、著者の中尾さんはロシアを訪れ、ロシアの熱から覚めることができず、ロシアビジネスに乗り出す……。

具体的には、経営コンサルタント的な会社を設立したそうです。ロシア企業とのビジネスマッチングなども行っていて、本書では、その具体例がいくつか紹介されています。

終わりよければ……なので、今となっては「すごいことを成し遂げたなぁ!」と驚き、感心し、尊敬の念さえ抱くのですが、当時のロシアの状況を見た上でこの決意は正気の沙汰とは思えません(゚Д゚;)

案の定、中尾さんは周りの人からこう言われます。

「ロシアでビジネス?」
「大丈夫ですか。恐ろしくない?」
「お金払ってもらえました?」
「輸送途中で貨物が紛失しませんか?」
耳にタコができるほど質問された。
いったい誰が、いつ、どうしてこんな噂を日本に広めたのだろう。

(160ページ)

輸送途中での貨物の紛失の噂は、実際よく聞きました。

噂? ……そういえば、私自身は荷物を送って紛失されたことはなかったな、とふと考え込んでしまいました。

知り合いや、知り合いの知り合いの範囲では実際に紛失のケースはよく聞いたような気がしていたのですが。ひょっとして全部単なる噂?

新規に起業をするには、もちろん、「こういう事業にしたい」という計画はあるでしょうが、計画が計画されたままに動くという予定調和はありえません。リスクも大いに伴います。これらを承知の上で普通は起業するものでしょうので、よく考えたら、中尾さんが耳にタコができるほど聞いたという質問は、そもそも起業精神に反するものなのかもしれませんね。

いやもう、アッパレです。

これがロシア人だよな

本書では実際に著者の中尾さんが携わった具体的な案件がいくつか紹介されているのですが、登場するロシア人が「いかにもロシア人」という人ばかり。

ロシア人のトリセツでも、1つの国民をひとくくりにするのは危険と書きましたが、「そうそう、これがロシア人!」というケースがバンバン出てきます。

具体的には本書を読んでいただきたいのですが、何度か繰り返し出てきたロシア人的特徴を1つご紹介。

「ロシアにはほどほどのおだやかな中間というものがない。ロシアってすべて両極端」という中尾さんの問いかけに対するロシア人の答え。

中間にいるなんて落ち着かないよ! 上か下か、右か左か、内か外か、最初からどちらかに属していた方が楽でしょ

(55ページ)

そう、ロシア人って極端なんだよな~~~~。

「黄金の中庸」というものが欠落している、ように見えます。怒るときにも喜ぶときにもストレート、やるときゃやるけど、やらないときはやらない……ロシア人を見ていると飽きません。

本書ではこういう生のロシア人にたくさん出会えます。

本論とはずれるけど……

著者紹介で、著者の中尾さんは1969年に大学を卒業されたことが書かれています。

1960年代というと高度経済成長の真っ只中です。その時代の就職活動の様子を垣間見ることができます。

現代ではもう聞くことがないであろう会話の数々……。

  • 履歴書を送り電話をかけても「四年制大学? 二、三年で仕事覚えた頃、寿退社だよね。短大卒だったら五年くらいは働いてもらう期間があるけどね」
  • 「通勤どうするの? 女子社員は自宅通勤が原則、やむを得なくて身元保証人の家からという例もあるけど、アパート暮らしの女子社員は例がないから」

(以上、38ページより)

時代を感じますねぇ。

今では、育休を取る取らないとか、男性も育休を取ろうとか、果ては働き方改革により、政府主導で副業を推奨されるまでになったんですから、日本も変わったんですかね?

ビジネス・経営に興味がなくとも、ロシア人・ロシア文化論の一つとして、あるいはロシア語を学ぶ学生さんや就職活動中の学生さんの人生設計の参考書としても、楽しく読むことができる1冊です!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です