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『『罪と罰』を読まない』岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美著

『『罪と罰』を読まない』、岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美著、文藝春秋、2015年

え、読まない?

19世紀ロシア文学界の2トップの一人・ドストエフスキーの有名な作品『罪と罰』をタイトルの中に織り込んだうえに、「読まない」ときた。

え、読まんのかい?!

『罪と罰』の著者ドストエフスキーも驚いています。

本書の趣旨を簡単にまとめると、「『罪と罰』を読んだことのない作家4人が妄想でこれを読了するという座談会の記録」です。

かの有名な「罪と罰」を読んだことのない作家というのが、この4人。

  • 岸本佐知子……翻訳家
  • 三浦しをん……作家
  • 吉田篤弘……作家兼デザイナー
  • 吉田浩美……作家兼デザイナー

座談会は、上記4名と、4名の暴走調整役として文藝春秋からの立会人を加えて行われました。

主人公は超ニート野郎

参加者のうち、岸本氏だけが小説の英訳版の冒頭と結末部分を、翻訳して読むことが許されました。

岸本 これ、最初と最後を読んだだけでも面白くて、主人公が超ニート野郎なんですよ。すごく貧乏で、現代に通じる感じの男なの。

(16ページ)

主人公ラスコーリニコフは超ニート! 彼は学生なので、純粋なニートではないでしょうが、性格描写するにはなんてぴったりな単語。

ストーリーを知っている立会人と、最初と最後の数ページを翻訳して読んだ岸本氏以外は、まったく作品情報を知らないので(いや、実は後に浩美氏は「罪と罰」準経験者だというのが発覚)、わずかな知識とうろ覚えの記憶を頼りに、作品のストーリーの「推理」を始めます。

篤弘 僕はもう一人、ソーニャっていう女の人が出てくるのを知ってます。この人、たしか重要でしょう?
岸本 重要です。
……(略)……
篤弘 …… あと、たしか、主人公がおばあさんを殺すんじゃないかな。

(18ページ)

最初と最後のページを一応読んでいる岸本氏の、強気な「重要です」発言(笑) もちろん彼女はそこしか読んでないので、話が見えていない一人です。

篤弘 …… いまのところ、しをんさんが『罪と罰』について知っていることってなんですか?
三浦 なんにも知らないです。主人公がラスコなんとかで、おばあさんを殺すっていうのは知ってましたけど、それだけかな。金貸しって言われるとそんな気もするけれど、なんとなく下宿の大家さんを殺すんだと思ってました。ただ、殺害方法とかはわからないです。

(19ページ)

おそらく、三浦氏のこの知識が一般的に「罪と罰」について知られているストーリーの根幹を成しているのではないでしょうか。他の座談会参加者たちも、この知識をベースにストーリーの推理をしていくのですが、以降、三浦氏が妄想力……いえ、クリエイティビティーを大いに発揮することになります。

作家ならではの視点がテンコ盛り

読んだことないのに、この大長編を妄想で推理をするというのは、とても面白いことだけど、こんなことできるのはやはり作家だからでしょう。

そしてストーリーを知らないだけに、「私が書くなら」の推理法まで適用されます。

篤弘 ……もし、しをんさんが、六部構成の長編小説で二人殺される話を書くとしたら、いきなり第一部で殺りますか?
三浦 いえ、殺りませんね。
岸本 どのくらいで殺る?
三浦 ドストエフスキーの霊を降ろして考えると――そうだなぁ、これ、単純計算で一部あたり百六十ページぐらいありますよね。捕まるまでにどれくらいの時間が経つのかによるけれど、私だったら第二部の始めあたりで一人目を殺しますね。

(38ページ)

あるいは、作家ならではの手法も垣間見ることができます。次の会話は、殺人を犯したばかりのラスコーリニコフに忍び寄る「彼」の足音について。

篤弘  たしかに、「彼」の傍点ってなんかありそうだな――。
岸本  やはり女だった――まさか、ソーニャ?
三浦  いや、待ってください。ノリノリで探偵説を演じておいてなんですが、そんな推理小説的なミスリードの手法が、この時代にありましたかね。

(80ページ)

ミスリードの手法~~! なるほど、作家さんたちはこういうことを考えながら作品を作っているんだなぁと、創作活動の現場、というか作家の頭の中を覗く気分です。

ロシア文学に対する壁の露呈?

それにしても、この4人の座談会は「罪と罰」のストーリー以上に考えさせられるものがありました。

例えば、こんな会話があります。

岸本  ……  場所はサンクトペテルブルグ。
篤弘  サンクトペデル……ってそれがもうちゃんと言えないよ。

(17ページ)

サンクトペテルブルグは、ロシア第二の都市です。日本で言うなら、東京・京都の京都にあたります。

篤弘  たしか、主人公はラスコなんとかーー。
岸本  ラスコーリニコフ。
篤弘 その名前は、いきなり出てくるんですか?  「彼」ではなく、いきなりラスコール?
岸本  ラスコーリ……ニコフかな。

(18ページ)

みなさん、主人公の名前が長くて覚えきれないのです。結局、座談会中の大半で、ラスコーリニコフは「ラスコ」と呼ばれることになります。ちなみに、サンクトペテルブルグは「サンペテ」、後に登場するスヴィドリガイロフは「スヴィドリなんとか」で通されます。

ちなみに、ロシア人名についてはこちらの書籍も面白いですよ→『声に出して読みづらいロシア人』

名前だけじゃなく、あとこんな発話も気になりました。

三浦 私が『島耕作』から得た知識によると、たぶんモスクワはわりと新しい街で、サンクトなんたらは、昔、皇帝がいた街だったと思います。

(22ページ)

ロシア情報の拠り所が『社長島耕作』のロシア編(笑)

ちなみに、この情報は正確ではありません。実際は、モスクワの方が町としてずっと古く、私の手元の年表を確認すると、1156年が建国年とされています。サンクトペテルブルグは、ピョートル大帝が建設した町で、1712年にこの地への遷都が行われます。

だからモスクワの方が古い!

で、何が気になったかというと、もはや私には「普通のこと」と思われていたことが、一般的にはぜんぜん普通ではないということ。作家さんですら、こんな状態(失礼!)なので、一般的にはもっと情報が行き届いていないかもしれない。

私、長年ロシア語をやってるわけですが、ロシア関係でない友人に「ロシア語をやってる」と伝えてから、しばらくぶりにあうと「ドイツって……」とネタをふられることの多いこと。日本人の頭は、「ロシア」という国名を受け付けられないようになってるんですかね? (しかし、なぜ「ドイツ」?? 「フランス」だった例はありません。)

こんな状態だから、ロシア文学は敬遠されるのかなぁぁぁ。この壁は何とかして取っ払いたいものです。

謎の影絵

ところで、座談会中に、浩美氏は実は「罪と罰」経験者だということが発覚します。

浩美 あの……話の途中で悪いんですけどね、私の「影絵情報」はまだ言っちゃいけないのかな? ……(略)……
三浦 影絵情報?
篤弘 いや、じつはこの人ね、前にNHKの番組で、『罪と罰』をものすごく簡略化して影絵にしたものを観てるんですよ。だから、あらすじのさらにあらすじくらいは知ってるみたいなんです。

(31ページ)

もはや、「読んだことない4人」のルールなんてあったもんじゃない(笑)

それよりも、この影絵、15分ほどにまとめられているそうなんです。

15分!

「罪と罰」を?(゚Д゚;) そんなこと、可能なんでしょうかね???

本書では、その影絵情報の出所なるものが紹介されるかと思いきや、どうも浩美氏が「観た」という影絵作品が見つからなかったとか……。

一体、何の作品だったんですかぁぁぁ!?!?!? (それが一番気になる!)

新しい読書形態

読んでないのに「読書座談会」……新しい試みだと思います。そして、本書では「ナンセンスな実験」と謙遜していますが、何と楽しい座談会だったことか。

4名のセンスが抜群だから成り立ったともいえますが、それと共に、ここまで会話が成立するぐらいに、読まれていなくてもあらすじを組み立てる試みが可能な程度に知られている「罪と罰」という作品のすごさに改めて感服。

世が世なら、ドストエフスキーは名ブロガーになって、借金知らずな人生を謳歌したかもしれないですね。(でも、こういう名作品は生まれなかったかもしれないか?)

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